内容(岩波書店公式サイトより引用)
「咳をしても一人」尾崎放哉(1885-1926)は成績優秀で鳥取一中から一高,東京帝国大学法学部へ.しかし後半生は一転する.勤めは永続きせず,京都の一燈園,神戸の須磨寺など,各地を転々とした後,最後は小豆島の札所南郷庵に安住の地を見いだして句作三昧の生活を送り,数多くのファンを持つ優れた作品を遺した.
感想(ネタバレなし)
放哉と言えば、中学・高校時代に国語の授業に出てくる、山頭火と並んで自由律のなんかやべぇ奴、くらいの認識が主だろう。
僕もご多分に漏れず、その程度の認識だったが本書を読んで、句に刻まれた深い孤独に圧倒された。
句は時系列順に並んでいて、初めの方は意外なことに自由律ではない。
ある時を境に自由律へ移行する為、その変化が面白かった。
また、形式だけでなく題材も変わったものが多く、思わず笑うこともしばしば。
洗い物忘れてたわとか、そうめん煮すぎたとか、俳句にするようなことかと疑問に思いつつ、シュールなおかしみを感じる。
極め付きはこの句である。
”芋喰って生きて居るわれハ芋の化物”
ふざけとんのか。
そんな楽しい句の隣には、常に孤独がある。
肺を患い、死に近づく程に、孤独の色は暗さを増していく。
命が細る中で詠まれた
”入れものが無い両手で受ける”
は手の中の重みと温かさが伝う、美しい句だった。
俳句の知識なしに興味本位で読んでも楽しめるだろうし、巻末の「入庵雑記」や解説を通して放哉を知れば、より心に残るだろう。
僕はもっと放哉について知りたいと思ったので関連図書を漁るつもりだ。
評価:なし(文学作品のため)
2023/1/27 読了